留学生の眼(84)
肌で感じた日中教育の違い 文・劉 志河
(Liu, Zhihe)大学院生物圏科学研究科博士課程後期3年
日本に来てもう六年になりました。最初に来たころは、驚くこともたくさんありました。今ではいろいろなことに慣れてきて、カルチャーショックを受けることも少なくなりました。でも時間が経つにつれてだんだん気になってきたこともあります。それは日中の教育の違いです。はっきり言うことは難しいですが、肌で感じた違いを述べようと思います。 子どもの教育について うちの娘は西条保育所にいました。まず、幼児の教育に差があるようです。 日本では幼児がみんな仲良くしていくことを大事にしているように思います。また、幼児の体が丈夫になるために、よく走らせたり、歩かせたりしています。さらに、幼児たちが喧嘩した時、先生や親ではなく、幼児たちが自分で問題を解決して仲直りします。そのあと大人たちが幼児を褒めます。 中国はまだ貧しいのですが、子どもを過保護にしています。ちょっと何かあると親がすぐやってあげます。中国では「子どもが龍になってほしい」ということわざがあります。親は皆、子どもに自分の希望や自分が成功しなかったことをたくして、夢中になって子どもを勉強させています。確かに、子どもの頃からいろいろ勉強した方がいいのですが、勉強よりまず、責任を持って社会のルールを守る人間になることがもっと大事ではないでしょうか。今、中国では幼児にいろいろ勉強させすぎて本当にかわいそうです。 小学校に入ってからの教育も違います。中国では子どもが小学校に入ってすぐ各種の知識を学び始めます。朝から昼の四時くらいまでずっと勉強します。今、娘は中国に戻り、一年生の後半ですが、足し算、引き算、掛け算、割り算のすべてをすでに終えようとしています。でも、日本では小学校の一年生はこれらを勉強するよりも、社会人としての資質やルールをまず勉強し始めます。小学校の時から児童に社会のルールを守らなければならないというイメージを遊びを通じて強く子どもの心に刻みつけます。でも一方では日本の小学校の一般知識の勉強は足りないように感じます。できれば、中国の小学校と日本の小学校教育はお互いに相手のシステムをある程度取り入れた方がいいのではないでしょうか。 中学校以降の教育について しかし、中学校や高等学校の教育については日中間の差が良く分かりません。中国では高等学校教育はすべて大学入学試験に向けられています。その高等学校がいいかどうかは大学への合格率で判断されます。今、中国では教育消費という言葉があります。親は子どもがいい教育を受けるためにたくさんのお金を使っています。ここでのいい教育というのはいい大学に入れる教育です。日本では一般の中学校や高等学校は基本教育、すなわち人間としての教育に向いていて、塾は大学試験に向いているようです。中国にも塾がありますが、日本程ではありません。なぜなら、大学に入るために勉強している高等学校が大学試験に対していろいろ工夫しているからです。まだ、中国では中学校や高等学校では男女の恋愛関係が禁止されています。日本では自由です。 大学の教育も差があります。中国では基本原理や機能をしっかり教えています。日本では最新の情報や技術を学生に教えています。どちらもいいところがあるようです。 おわりに 全体から見ると、中国では優秀な学生が育ちやすい環境があるようです。しかし、欠点は「一人の人間」を育てる環境として十分ではないと感じることです。中国ではいい学生かどうかすべて成績で決まります。努力しても、成績が悪いといい学生にはならないのです。一方、日本では学生を判断する基準が違います。努力することが認められます。人間は一人ひとりの資質に差があります。しかし、重要なのは熱心に勉強や仕事に取り組むことです。これはすばらしいと思います。 いつのまにか、私が教育に関心を持つようになりました。将来、みんな心が広く、平和な世界を守る真誠な人間になったらいいなあと祈っています。 |