「ヨーロッパ環境地誌」の授業にて
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ドイツはほとんど州立大学です。七十年代に大学教育を大衆化しようとしたときに、無料にしました。その観点からすると、日本の国立大学を減らすべきだという考えは理解しにくいです。先進国では、国民に安くてレベルの高い教育を提供することが国の役割だと思います。
ドイツの大学のシステムを考えると、大学に入学したら大人と見なしますので、大学の方からそれほどこまかい指導はしません。もっとも最近は少し変わってきています。ドイツの中でも北部は日本に近く、単位がたくさん必要となります。私の入学した南部の大学は、昔のシステムが残っていて、単位数は少なかったです。そして、その単位をとっているゼミについてはかなり力をいれて勉強するというものでした。週四、五回の授業があれば十分で、地理学の場合は、理系の授業もあるので、それなりの数の授業がありましたが、歴史系では深く少なくということでした。
基本的には、最後の試験が、単位数をそろえるよりも難しいです。例えば、私が高校の教師の免許を取得する場合、それは日本の場合でいえば修士と同じレベルなのですが、それを取得するには論文を書くだけでも半年かかって、二つの専攻の試験準備もそれぞれ半年かかりました。ドイツでは、最近理系の一部でバチュラーを導入している大学もありますが、基本的にはいきなり修士のレベルということになります。理系であればデイプロームであり、文系であれば修士か高校の教員免許かのどちらかを取得します。ドイツの大学では、入学後中間の試験があり、入学から三年以内に取らなければなりません。それを取ればあとは在籍期間というものはありません。しかし最近では、長居するとお金がかかるということで短くなっています。
フライブルク大学旧図書館。 壁に「真理は君たちを自由にするであろう」と書かれている (撮影:法学部 野呂 充)
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ところで、日本では最近教員の評価が言われますが、学生の評価ができていない問題があります。最後はAで通さなければならないところがあって、学生に対しても評価をしているので頑張ってくださいと、本当はいえない状況です。ここを変えないと大学のレベルを保てないと思います。学生にちゃんと指導して、評価もちゃんとするということを確立しないといけないと思います。ドイツの場合は、大学に入ったからといって卒業できるとは限りません。ですからドロップアウトも多いです。途中で自分に大学は向いていないから、職業教育を受けたりする人もいます。日本の場合、学生の就職でも、今までは大学のランクしかなかったと思いますが、今後はどんなことを勉強して、どのように評価されたかという情報がないと人材は選べないのではないかと思います。
広島大学の良いところは、地域との結びつきが強いところだと思います。学生をフィールドに連れていったり、また東広島をフィールドにしている教員も多いです。学外との繋がりができて、大学と地域との交流が進んでいるところがあって、それを進めようとしているところが興味深いです。
(聞き手・秋葉節夫)