アメリカでの国際合気道講習会(筆者中央)
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私はサセックス大学(イギリス)にて学士号と修士号を取得し卒業した後、ハーバード大学(アメリカ)の博士課程に進学し、後にロンドン大学(イギリス)のカレッジであるユニバーシティ・カレッジ・ロンドンにて博士号を取得しました。
広島大学と上記の大学の最大の違いは、私がどのように教育を受けたかということにあります。サセックス大学では、学部時代に、すべての文系科目はチュートリアルとして、つまり毎週教員の研究室で会合をもって論文を読むという形で教えられました。会合では、生徒は私一人でした。広島大学よりもはるかに必修科目が少なかったため、サセックスでの授業ははるかに深く、また多大な準備を要するものでした。講義は選択制であり、時として私は自分のチューターから、特定の講義には出席しないように助言を受けました(理系の授業には講義と実習が多かったのですが、それでも広島大学よりは少数でした)。学生は学期中のアルバイトを許可されていませんでした。また、毎年五〜十%の学生が卒業できずに退学しました。これら二つのことが学習のための効果的な動機づけでした。むしろ学生は選択できました。勉強するか、それとも卒業できずに退学するかです。
ハーバードの修士課程では、一生の内で最も懸命に勉強しました。チュートリアルと演習では、常に多大な準備が求められました。毎週末に五千語のレポートを書かなければなりませんでした。図書資料はこの上なく充実していました(図書館のなかには二十四時間開館しているものもありました)。最も驚いたのは、外国人学生の数、そして特に外国人教員の数でした。サセックス、ハーバード、そしてロンドンは真のコスモポリタンでした。しかし広島大学では、日本人でない正教授は片手で数える程度しかいません。よい候補がいないはずはないのにです。このことは、広島大学が、真の国際化とは双方向のプロセスであることをいまだに理解していないことを示していると、私には思えます。
広島大学の大きな問題のひとつとして、その立地が挙げられます。来るのも住むのも大変ですから、優良な大学でなければ有能な学生をひきつけられません。サセックスでは、近いところでは五qの所に大きな町がありました。そしてハーバードとロンドンは学園都市であり、学生のサブカルチャーが色々とありました。もちろん東広島移転は中央政府の決定でした。しかし、田舎のキャンパスという疑いようのない利点はあっても、それよりも多くの欠点があるのではないでしょうか。広島大学はいまだに「魂」を欠いており、遠方の立地条件を補うにはより一層の努力が必要です。
立地の問題は、非常に地方的であるという広島大学のイメージと関係していると私は考えます。ハーバードもロンドンも世界水準を目指していますが、広島大学は中国地方一の大学であることに満足しているように思えます。地方のニーズを強調するのはよいのですが、(世界の)トップ30になるためには、はるかに広い視野をもっていることが必要です。
(原文・日本語)