特集
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日本の大学と民間企業等外部世界との交流が、欧米に比べて遅れているとは、よく言われるところです。しかしながら、そのような状況も少しずつ変わりつつあり、殊に国立大学法人化後には、もっともっと交流が進むとみられています。とかく「井の中の蛙」になりがちな大学人にとって、外部の経験がある教員および企業の方々との関わり(=相互作用)は、よい意味での刺激となり、そのことが国立大学法人化を目前にした広島大学に対して少なからぬ良い影響を及ぼすことは間違いありません。 そこで、今回の特集では、「I.学外経験教員から見た広島大学:1.私立大学経験教員から、2.企業経験教員から」、「II.企業から見た広島大学:1.広大生を採用している企業から、2.広大と共同研究を行っている企業から」というテーマで、それぞれ異なった経験・体験をお持ちの6名の教員、それに広島大学と関係のある企業の8名の方々に、国立大学法人化を睨んでの、これからの広島大学のあり方について自由に書いていただきました。 |
今回の特集を組むにあたって、牟田学長からこのテーマに関連してお話を伺いました。質問に先立ち、(一)私大の建学精神に相当する広島大学の理念(広大の五原則)を国立大学法人化後も守っていきたい、(二)広大のアイデンティティを確立し、それを学内外に宣伝したい、と前置きを述べられ、その後でいくつかの質問に答えていただきました。(広報委員会) |
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特集 I 学外経験教員から見た広島大学
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私立大学の柔軟性を学ぶ
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文・高原 一隆
( TAKAHARA, Kazutaka )総合科学部社会環境研究講座教授 |
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私がかつて在籍した大学の名称は札幌学院大学です。札幌短期大学から四年制の札幌商科大学を経て、一九八四(昭和五十九)年札幌学院大学と名称変更しました。現在、五学部二研究科、学生数五千名強の文系中堅大学となっています。以下の叙述も文系学部を念頭において下さい。『選択』六月号の私立大学「欠員率」ランクによりますと、充足率百二十三・八ですから充足率は良い方に属しています(尤も、このランク付けの方法には疑義があります)。私はこの大学に十八年半在職し、一九九九年十月に広島大学に着任しました。 教職員主体の大学運営が可能な私学 ご承知のように、私立大学の経営は学校法人の理事会が行っていますが、私の赴任当時、規模が大きくなかったこともあって教職員の直接民主主義を基本として(学部新設などの重要決定は学長から現業職員に至るまですべての教職員参加の会議で決定されていました)、教職員から理事を選挙によって選ぶ教職員主体のユニークな大学運営を行っていました。大学の規模が大きくなり、現在は直接民主制による運営ではなくなりましたが、教職員主体の大学運営の形式をとっています。 教職員主体の経営の功罪 教職員主体を「功」とするならば、「罪」は教職員が自らの力で学生の入り口と出口を見いださなければならないつらさを意味します。例えば、入試委員会は教務委員会と並んで最も繁忙度の強い委員会でした。札幌市及び周辺の受験者数十名の高校にはこちらから出向いて入試説明会を開催する、一人でも在籍学生がいる高校には東京でも出向いて受験を依頼する、業者のセッティングによる入試相談会、通常の推薦と同時に多数の在籍学生がいる高校には指定校制度を設けて一人あるいは数名の生徒は必ず入学を保証するなどして高校との信頼関係を築く等、実質倍率が三倍以上の時からまさに営業マンとしての活動をしたりしていました。「教職員主体の経営」は、このように教育・研究を部分的に犠牲にして営業マンとしての活動をも強いられることを意味します。 フレキシブルな大学運営 教職員主体の働きやすい職場づくりをめざして、七十年代の学園紛争時に助手制度は完全に廃止していましたし、講師、助教授、教授は大学卒業年だけを基準にしており、教員の給与体系も年齢給一本でした。法人としては教員、行政職1(事務)、行政職2(現業)の三本のみでした。もっとも、教員間の区別をなくしてしまうと研究業績に問題が出てくるため、その後、助教授から教授への昇格に審査制を取り入れるようにしました。給与はまだ一本のままですが、私学経営の厳しさとともに給与制度全般を見直さざるを得ないでしょう。個人研究費も職階に関係なく一律に決まっていました。この個人研究費の使途は特定されておらず、領収書で決済できるし、数千円の残額でも東京出張に使えるなど、国立大学から来た先生方は自由な使い方に喜んでいました。全国・国際学会の報告者には特別出張費が出ていましたし、個人研究費とは別に国外旅費も一定の枠内で出ていました。 確かに、経営面では厳しく、教育面では学生の学力やマス講義など問題は多いのですが、私学には自由でフレキシブルな側面があります。その良い点だけをうまく取り入れることが国立大学法人の発展の条件ではないでしょうか。
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広島大学としてのアイデンティティの確立を
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文・中坪 敬子
( NAKATSUBO, Keiko )大学院理学研究科助手 |
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私が務めていた早稲田大学は、東京の新宿に、メインキャンパスが三箇所に分かれて建っています。三つ併せても広島大学の東広島キャンパスより狭い所に、学生・教職員約五万人が集まり、文字どおりのマンモス大学を構成していました。当然のことですが、大学内には所狭しと、校舎が建ち並び、学内には常に人があふれ、何をするにも、満員・行列が当たり前の風景でした。大学は狭かったのですが、周囲には学生街が広がり、町と大学が一体化して、五万人のワセダニアン(以前はワセダマンと呼んでいた)を支えていました。 都会のビルに囲まれたキャンパスから、都立病院に併設された研究所を経て、広島大学に赴任してきました。広く澄み切った空の下、豊かな自然環境に囲まれた広島大学は、実に新鮮に映りました。とりわけ、キャンパスの敷地と建物の広さに代表される施設面の充実度と、都会の大学のように開門時間にとらわれずに研究・教育に専念できる環境に、目を見張りました。 私立大学の特徴 国立大学も私立大学も、独創的な先端研究を目指し、様々な角度から教育の充実に努めている点は共通していると思います。しかし、両方を経験してみて、「違うな」と思うことがあります。それは、私立大学では、建学の理念に基づいた教育を行い、「将来、社会の担い手となる○○大生」の育成により社会に貢献する、それが大学の使命であり、財産であるという主張が前面に出されていたことです。一大学としての独自性を示し、社会にその存在意義を認めてもらうための主役は、常に「○○大生・○○大卒業生」でした。事実、早稲田大学のホームページには、著名な卒業生一覧を掲載し、大学の評価は、輩出した卒業生によってもされるべきだという姿勢を明確に打ち出しています。そこには、「大学は大学内で研究・教育に励む教職員や学生だけでなく、社会に出て活躍している卒業生によっても支えられている」、「大学と社会を結ぶ重要なパイプは、卒業生である」、「大学は、社会に出る前の通過点の一つではなく、大学こそが原点である」という考えが、根底にあります。 卒業生による大学支援 実際、多くの卒業生達は、母校の名のもとに社会に出ても連帯し、産学連携、就職、奨学金、寄付金の提供など様々な面から母校・後輩を支援する輪が形成されていました。 例えば、早稲田カードという制度があります。これは卒業生が持つ早稲田大学のオフィシャルカードで、クレジット機能をもたせてあり、利用額の還元金を後輩の奨学金として給付するものです。その代わり卒業生には、大学の図書館等の施設が利用でき、校友として大学の情報を得る等の特権が与えられています。毎年、このシステムにより多くの奨学金が給付されるだけでなく、卒業しても大学とつながっていることが、自然に実感されるようになっています。 アイデンティティの確立を このような連携に基づく支援の輪は、しかし、一朝一夕で形成されるものではありません。入学から卒業に至るまでの様々な経験をとおして、「在学してよかった」、「自分の原点は大学にある」という実感が持ててこそ初めて可能になります。国立大学の一つではなく、母校として共感がもたれる「広島大学としてのアイデンティティの確立」が、法人化にむけて重要であると思います。 広大フォーラム(三十四期二号)に掲載されていましたが、大学として、一つの同窓会が形成されました。卒業後、歳月を経ても、皆が集まり、母校を支援する輪が形成されることを望みます。
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広島大学はどこに向かうのか?
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文・山田 忠史
( YAMADA, Tadashi )大学院工学研究科地球環境工学講座助教授 |
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私は、七年間に渡り、助手・専任講師として私立大学に勤務いたしました。私の勤務した関西大学は、関関同立という言葉が示しますように、特に関西地方では、伝統ある有数の私立大学として、その名が通っております。関関同立という言葉は、互いがライバル関係にあることも表しており、ライバル校の動向に注意を払いながら、大学の運営・活動戦略が立てられておりました。結果的には、各校横並びになることも少なくありませんでしたが、私立大学は、常に高い競争意識の中で大学を運営してきたと言えます。 特徴的な取り組み 関西大学に勤務して、最初に驚いたことは、教員一人あたりの学生数です。広島大学の二〜四倍の数の学生を各教員が指導することになります。したがって、必然的に、教育に要する時間が長くなります。受験料、入学金、授業料が大学の運営を経営的に支えており、それらが教育サービスから得られる対価であることを考えれば、研究活動よりも教育活動に重点が置かれるのは、半ば当然といった気風がありました。 関西大学の教育活動の充実は、在学生の保護者から組織される教育後援会にも特徴づけられます。教育後援会主催で保護者面談が行われ、各教員は、在学生の学業・生活の様子や就職活動状況を保護者に報告するとともに、保護者からの教育・就職に関する要望を伺います。各地方にも支部が設置され、教員は関西以外の地方にも出向いて、同様の面談を行います。教育後援会の役割は、各地方での大学の広報活動も兼ねており、教育への熱意を伝える格好の場として、大学のイメージ戦略の一部となっていました。 学生への教育活動支援は、大学から各講座に支給される予算にも反映されていました。大型の実験器具などを購入するか否かにも依存しますが、基本的には、各学生にパソコンが行き渡るに十分な予算が配分されます。大学が教育に重点を置くならば、それに必要な費用を大学側が支給するのは当然というスタンスです。 新参者から見ると 上述の例だけでは、いささか不十分な感も否めませんが、教育の充実一つをとっても、大学・教員の双方にかなりの負担が強いられます。つまり、教育機関として、きめ細やかな教育をすることは、小手先では不可能なことのように思います。一方で、研究機関として世界の名だたる研究機関や大学と勝負していくことも、決して容易なことではないはずです。国際協力や社会貢献についても然りです。 広島大学に目を向ければ、国立大学法人化や大学競争時代(例えば、二十一世紀COEプログラム)、さらにはそれを前提にした将来計画の議論の中で、教員には、教育、研究、国際協力、社会貢献など多岐に渡る目標の、高いレベルでの達成が求められているように見受けられます。しかし、逆に言えば、このことは明確な将来像が無いとも受け取れます。広島大学は何を売り物にし、何に重点を置くのか、言い換えれば、大学側は外部から何を評価されようとし、教員は大学側から何を評価されるのかについて、「共通の認識」を明確に早急に具体的に形成する必要があるように思います。そして、その方向に向かって、大学も教員も力点を集中させるような体制と環境作りが必要なように思います。入試方法、外部資金導入の目標、大学のイメージ戦略等は、すべてそれに基づいて決定されるはずです。 おわりに 最後に、共通の認識のない混沌とした状況は、既に日々の活動時間の大量消費を生み出しています。それが、大学の将来について、熟慮し、熱い議論を交わすような時間を教員から奪っており、その結果として、共通の明確な目標を定めることが困難になっています。このようなスパイラルからの脱却も、急務の課題の一つと言えるのではないでしょうか。
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