退職者から広大へのメッセージ




「世代間ギャップ」

大学院教育学研究科 数学教育学講座 岡田 雄


飲めや歌えや岡田ゼミ(筆者中央)



 本年度定年退職する者は、終戦の年に小学校一年であり、戦後の新教育を受けた第一回生です。小学校卒業の日の新聞には、「新教育一回生の卒業」というようなタイトルがでていたのを思い出します。
 それでも新教育を受けた我々とその上の年代の人との間には世代間ギャップがあったのでしょう。我々はアプレゲールと呼ばれました。今の言葉で言えば「新人類」に相当するのでしょう。
 いつの時代にも世代間ギャップはあります。これを悪ととらえるのではなく、進化の源ととらえたいものです。若い人を信じながら気付いたことは率直に言うことが、進化の源になるのではないでしょうか。
 広島大学のますますのご発展を祈念しております。




「四十友四年」

大学院教育学研究科 自然システム教育学講座 落合 洋


学生たちと宿泊研修へ
(筆者左端帽子)



 高校の理科教師を目指して教育学部へ入学した私は、爾来、多くの人々に助けられながら四十四年間もまるまる広島大学にお世話になり、この春定年を迎えることになりました。本当に有難うございました。修士修了時に「助手になって研究を手伝え」の恩師の一言によって教官の一員に加えて戴きました。当時、まだ始まったばかりの高分子研究の分野に足を踏み入れ、同僚、学生と一緒になって夢中で実験をし、議論をし、また、以前の私と同じ希望の学生たちと化学教育・化学教材について勉強もし、苦しくもあり、楽しい大学生活でした。この間の経験と多くの友人・同僚、勉学を共にした卒業生が私の財産であり、これからの支えとなります。
 最後に、独立法人化、教員養成系学部・大学の再編等の荒波を乗り越えて、広島大学の更なる発展を祈念いたします。




「広島大学四十四年間の思い出」

医学部基礎理学療法学講座 梶原 博毅


Dr. Idrus A. Paturusi(中央)の
指導教官として参加した
インドネシア・ハサヌディン大学の
学位授与式にて
(筆者左から2人目)



 昭和三十三年に広島大学に入学し、本年三月までの四十四年間、学生として、又教職員として広島大学にお世話になりました。その間、大学院では飯島宗一先生(元広島大学長)に師事し、研究の楽しさを教わると同時に、当時の激しい学園紛争も経験しましたが、今では懐かしい思い出となりました。
 教職員として在職中には、二度にわたりボン大学病理学研究所に留学し、ヨーロッパ文明に直接触れ、多くの良き師、良き友に巡り会えました。
平成元年に、医学部から医療技術短期大学部創設準備室に教授兼室長として移り、平成四年には医学部保健学科の設置を、又、平成十年には大学院博士課程(前期、後期)を設置することができたのも、大学内外の多くの方々のご協力によるものと心から感謝している次第です。




「来た道、行く道」

医学部附属病院看護部 亀田 昭子





 一時期の退職を含め三十八年間の看護婦生活。上司や同僚の支援をいただきながら、無事退官を迎えることができ感謝申し上げます。
 この間、不安を抱えて入院生活を過ごされた多くの患者様から、多くの学びをいただきました。その折々の思いに添えきれず、お叱りの言葉、時に感謝の言葉、その一つ一つが私の心の宝物となりました。
 大学病院は二〇〇二年、新病棟の開院へと着実に歩み続けています。何時のときも個々の患者様が大切にされ、働く職員が幸せを実感できるような病院として、皆様が思いを一つにして努力して行かれることを祈念します。
 今後は地域住民の一人として見守り続けてゆきたいとおもいます。
【部局歴】 医学部附属病院、歯学部附属病院、医学部附属病院




「人間を科学する」

生物生産学部衛生微生物学講座 川上 英之


日本細菌学会札幌大会に出席した折、
訪れた北大キャンパスにて



 人間が地球上に現れて以来、人間はその底知れない優れた知能によって測り知れない幸せをもたらし、二十世紀末にはとうとう人間の本質である遺伝子の解明に成功しました。しかし、その反面、人間のエゴイズムによる地球環境の破壊、人間同士の醜い争いの繰り返しが現在も続いています。
 人間とは一体なんなんだろう。人間はいかにあるべきなのだろう。政治家達は擧げて社会の構造改革を唱えます。しかし、社会を構成する本質は人間です。これから二十一世紀、この新世紀における人間にとって最大のテーマは人間をあらゆる角度から追究する「人間を科学すること」ではないかと思います。
 広島大学はこの人間を科学する発信基地となって欲しいと願っております。人間に関するあらゆる情報が得られた時、すばらしい人間が生まれ、社会が構築されるものと期待してやみません。




「広島大学に残すメッセージ」

医学部活性構造化学講座 木村 榮一


1966年春、チャペルヒル分校内の
満開の桜の前にて



 私は、アメリカは南部のノースカロライナ大学チャペルヒル分校に大学院生として、青春を過ごしました。うっそうとした森の中、美しい四季、広い芝生の上に白やピンクに咲き誇る花水木の大木、レンガの建物、選ばれた学生達の輝き、学生、卒業生、そして市民から尊敬され、愛され続ける大学等々。大学は時代が変わっても、人がいくつになっても、社会の、人生の夢あるいは華としてみられることを実感しました。勿論このようになるためには、教官、学生、管理者、卒業生、市民全員がおらがInstitutionとしてそれぞれcommitし、たゆまぬ努力があったればこそでしょう。数十年後戻ってみて、「広島大学は私の人生の夢であった」と言わしめる、名実共にあるキャンパスづくりに邁進されますよう期待しております。




「感謝」

学生部就職課 木村 正司


医学部発足時、
第13回全国公務員レクリエーション共同事業
広島地区軟式野球大会で優勝
(筆者右から4人目)



 昭和三十五年三月、医学部附属病院患者係に奉職以来四十余年の歳月が経ちました。
 かえりみますと様々な出来事がありました。特に昭和四十四年の大学紛争は終生忘れることはないでしょう。
 また、職員野球部及び球友会(医学部発足)での思い出も忘れることはないでしょう。
 在職中は皆様方の温かいご指導を賜り、心から深く感謝いたしますとともに厚くお礼申し上げます。 終わりに、広島大学の益々のご発展と皆様方のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
【部局歴】 医学部附属病院、教養部、歯学部、文学部、教育学部、工学部、医学部、学生課、教育学部、学生部厚生課、学生部就職課




「お世話になりました」

附属図書館事務部 久野 木


中央図書館前にて



 広島大学図書館に赴任して四年五ヶ月、省みると、この役目を何とか勤めさせて頂いたのも、もっぱら館員の皆さんの厳しい”評価”と包容力、それに館長のお蔭であったと思います。
 図書館業務では、電子情報化の只中にあって、図書目録百万件入力達成と、特に漢籍目録や教科書のデータベース形成には、館員があたかも天職と心得て渾然一体となって取り組んできた姿勢には感銘しました。
遡ってこれまで僅かの教職後、大学図書館のほか日文研での国際色豊かな部署、世界がわかるという民博の展示部門等は甚だ得難い経験となりました。
 本学の何事へも先行する改革意欲には一面では心配もありますが、全国的に一定の評価を得てきた本学図書館も、法人化を前に改革へのクライシス(転機)とされるよう願うものです。
【部局歴】付属図書館


広大フォーラム33期5号  目次に戻る  特集2に戻る