退職者から広大へのメッセージ




「広島大学の一層の発展を祈念しつつ」

医学部生理学第一講座 瀬山 一正


教室の諸君とのいつもの飲み会で
(筆者前列中央)



 昭和三十二年に広島大学医学部に入学して以来四十五年間計らずもこの地で学び、遊び、仕事をしてきたことになりました。沢山の良き師と元気な若い人々に恵まれ楽しく過ごさせていただいた事を感謝いたします。故上村良一教授に医学へ誘って頂き、故入沢宏教授には早くから学者として自立への道を指導頂き、故佐藤昌康教授には熊本大学に最初の研究の場をお世話頂きました。ここで出会った植物毒を道具として、生物の基本的機能である信号発生を起こすNa+チャネルの機能 構造相関の理解を進めるという生涯のテーマを得ました。
 そしてこの永い母校との関わりの最後に、医学部が大学院部局化出来たことを心から喜びたいと思います。こうして後輩の諸君に科学的医学の確立を目指したより良い研究の場を提供しえた事はともあれ先輩の努めを一つ終えた気持ちであります。




「障害児・者から人の行動の成り立ちを学ぶ」

教育学部附属障害児教育実践センター 高杉 弘之


教育相談実践VTRでの学生との検討場面



 私が障害児教育にかかわった契機は大学院の時、わが国での盲聾教育の草分けをなした故梅津八三教授が指導教官だったことにあります。点字や指文字なども付き合ってくれた盲聾児から学びました。それから四十余年障害児・者と実際にかかわる中で彼等から多くのことを教えられました。物の概念の形成、コミュニケーション、…、文字の習得、数概念の獲得などなど人の行動の形成過程、学習課程の基本的道筋について学ばせてもらいました。
 教育とは人のもつ可能性を見出しそれを開花させるための支援する作業です。その成果は教育する者とされる者とのやりとり関係の中から産まれるものです。大学教育も学生のもつ可能性を実際に向き合う中でどう導き実現化させるかにあるということが障害教育にかかわってきた者として得た結論です。




「定年退職を迎えて」

経理部契約課 竹尾 修


経友会旅行
小樽運河にて(筆者後右)
2001.11.11(日)



 昭和四十七年三月二十一日医学部附属病院に自動車運転手として採用となって以来三十年になりました。過ぎし日は早いもので色々な事を思い出します。今日まで無事に来れましたのも、ひとえに教職員皆様のおかげです。人と人との出会いの中での数々の体験、経験を教訓として教えられ良い人生勉強になりました。広島大学は今まさに独立行政法人化に向けて改革を推進しています。私には大変難しく理解しがたい事です。皆様におかれましても、この先仕事上での困難が有るかも知れません。これも大学の為、学生の為に、今後も頑張ってご活躍されますよう祈念しております。どうかお元気でお過ごし下さい。私もこれからの人生を健康に留意し、その日その日を大切に生きて行こうと思っております。大変お世話になり有り難う御座いました。
【部局歴】 医学部附属病院、経理部経理課、経理部契約課




「思いで」

歯学部業務課 竹原 伸也


諏訪湖にて



 昭和三十八年四月、広島の県北から出て来て西も東も判らない者が、皆様方の暖かいご指導によって支えられ、ご厚情に助けられて、三十九年間に亘り勤務させていただきました。
 東千田地区にあっては嘗ての弓道場傍らの満開の桜、文学部・政経学部前のアメリカ楓の鮮やかな紅葉が目に浮かぶと同時に、教養部や政経学部時代の家族的雰囲気の中で実施されたレクレーション等が懐かしく昨日のことのように思い出されます。
 また、霞地区においては、患者を中心とする医療を展開している医病、歯病の病院事務を経験させていただきました。
 この間、数々の出会いの中で恵まれた貴重な財産を、これからの心の糧として歩んでまいります。本当に有り難うございました。
 最後に、広島大学の更なる飛躍と皆様のご多幸をお祈りします。
【部局歴】 庶務課、教養部、庶務部人事課、政経学部、法・経済学部、医学部附属病院、医学部、歯学部




「退職にあたって」

法学部公法講座 筑間 正泰





 人にも悪貨は良貨を駆逐するというグレシャムの法則が妥当するように思っています。それにつきましても、事務系の皆様のお陰で無事定年を迎えることができました。ありがとうございました。私には自慢できるものは何もありませんが、二十七年間、春休みも夏休みもなく、土曜日か日曜日に勉強会を続けて来たお陰で自分の専門の刑事法分野以外にも視野を広めることができたと思っています。定年後は、今まで受けたご恩をお返ししていきたいと思っています。
 ありがとうございました。




「バイオの二十一世紀とは」

大学院工学研究科 設計工学講座 蔦 紀夫


コリーグと集う。
'01Aug広島市内にて
(筆者前列中央)



 明治以来百年が経過して、ワラブキ小屋で薪で米を炊く時代から、住宅、家電、車で代表されるリッチな成熟社会を迎えた現在、二十一世紀の次の百年を目指す課題の創設と、高度な目標を追跡する変革とがせまられています。
 一億年の歴史の蓄積の成果が凝縮された、高度で精緻な生体機能は、二十一世紀創生のための無限のネタを秘めています。これらのミクロ・マクロ機能にチャレンジすることは二十一世紀にふさわしい研究対象であると考え着任以来これまで生体機能を工学的に解明しながら、医・工学分野に応用する研究を実施して充実したアカデミックライフを過ごさせて頂きました。
 皆様の今後のますますのご発展を祈念致します。




「定年を迎えて」

生物生産学部附属農場 中島 芳禧


農場実習で生まれて間もない
子豚を抱いた学生さんと(筆者右端)



 農水省から、本来ならば手に届かぬ教育の場、広島大学生物生産学部附属農場に来まして早十年になりました。実習や研究を通して様々な学生さんと触れ合えたことが大きな財産となりました。また、ここまでやって来られましたのも、教職員の方々の厳しい中にも暖かいご支援とご指導があってこそ、と深く感謝し、皆様に厚くお礼申し上げます。農水省時代から数えますと、四十三年間にわたって家畜一筋で生きて来た私です。「今日に学び明日に笑う、二度と通れぬ今日と云うこの道。」学ぶ心は今も変わりはありません。長きに渡り本当にありがとうございました。皆々様のご健康とご多幸をお祈りし、広島大学の益々の発展をお祈り致しております。
【部局歴】 生物生産学部




「研究室の片隅で」

原爆放射能医学研究所 病態治療研究部門 中谷 良惠


27年過ごした研究室にて



 縁あって二十七年間、技術系職員として原医研腫瘍外科に勤務しました。他部局の方にはなかなか理解していただけない臨床系の教室の忙しさの中にあって、気がつくと定年を迎えたような気がします。平成になって急速にIT化が進み、時代の大きな変化についてゆくことにかなりのエネルギーを費やしました。しかし、この時期に仕事をもっていたお陰で否応なしにこの難題に取り組めたのだと思います。異動のない教室系にいますと、見えない組織、届かない声を痛感致します。まして電子情報化が進み「顔」の無いやりとりの中で、いかに人間らしい暖かみを保っていけるか今後の課題だと思います。皆様ありがとうございました。
【部局歴】 原爆放射能医学研究所


広大フォーラム33期5号  目次に戻る  特集2に戻る