退職者から広大へのメッセージ




「大學の維新に想う」

総合科学部基礎科学研究講座 松田 正典


2001年7月アルプスにて
(プラハでの学会からの帰路)



 今日のわが国の構造改革は、近未来の活力に最適なシステムを構築しようとする作業であり、何としても成し遂げられねばなりませんが、現実にはやはりグローバリゼーションと生活文化との相克があり、現場では文化的な相違から来る様々な混乱を生むこと必定です。しかし、他国の文化に学んでこれを消化しきり、独自の文化を構築し続けたわが国の伝統は、必ずや今回の構造改革の混乱をも克服するに違いないと思います。わが国は大學の維新に取り組んで既に四半世紀を経ましたが、今日愈々その加速度を強めています。様々な矛盾と混乱の中、温故知新、伝統の学問文化の継承・発展と科学技術の豊かな生産性とを共に担う学舎の構築に成功して行かれますよう念じつつ、感慨を山頭火の詩に託してお別れの言葉と致します。

 「分け入っても 分け入っても 青い山」





「キャンパスの維持保全を」

施設部企画課 松本 喜代司


秋のアカデミックゾーン(東地区)



 私が就職した昭和三十年代半ばの東千田キャンパスは狭いながらも落着いた雰囲気がありました。昭和四十年代には学生数が増加し、キャンパスは狭隘と乱雑が顕著となりました。学園紛争も起こり、これを契機に西条町(現、東広島市)への統合移転が決まりました。
 現在、東広島キャンパスは、全国有数のキャンパスとして完成し、その広さ、美しさを誇っております。しかし、最初の工学部校舎の移転から十九年が経ち、施設・設備等の劣化も目に付く様になりました。
 独法化後の広島大学を魅力あるものとするためにも、美しいキャンパスは是非必要です。そのためには、施設・設備等の維持保全に関して、さらなる全学的な取り組みを進めていただきたいと思う次第です。
【部局歴】 施設課、施設部建築課、施設部企画課




「国際協力研究科を広大の顔に」

大学院国際協力研究科開発計画講座 山下 彰一


筆者(中央)とIDEC留学生たち



 本学在職中に新設された大学院国際協力研究科への想いは尽きません。その構想段階から今日の教育・研究まで関わることができ、よいチャンスを与えていただいたと感謝しています。現在、三百十七名の院生が勉学に励んでいますが、その内の五十四%、百七十二名が留学生です。国際協力研究科は、海外での知名度も上がって来ました。是非とも広島大学の顔として育てて欲しい。今後は、アジアをはじめとした発展途上国において、人材育成のニーズが一層高まることが予想されます。大学改革が本格化し、構成員の皆様には日夜大変でしょうが、是非とも特徴ある大学院づくりを目指し、国際開発協力分野でも比較優位を持つ大学に育て上げて欲しいと念じています。




「人能く道を弘む」

医学部地域老人看護学講座 山村 安弘


2001年Helsinkiでのパーキンソン病
国際学会に出席した際のツーショット



 広島大学に奉職して二十五年、医学科で神経内科学、保健学科で地域老人看護学の教育・研究に携わり、退官を迎えました。神経学の楽しさ、美しさにとり憑かれて、いつしか歳が経っていた、というのが実感です。Life work は「遺伝性パーキンソン病」。院生時代、一人の患者さんとの遭遇に始まり、三十年余り後に遺伝子Parkinの発見でもって完結しました。この間に学内外の多くの方々から支援を頂いたことを感謝しております。
 二十一世紀を迎え、世の中は激しく変化しています。しかし世の中を支持しあるいは方向転換を行うのは人間達です。大切なのは、一人一人のささやかな努力や勇気、一歩の踏み出しだと思います。「子曰く、人能く道を弘む。道の人を弘むるに非ず」(論語)。中国古典の教えることは、ハイテクの時代でも、政治、芸術、学問のいずれの分野でも真実でしょう。
最後になりましたが、皆様のますますのご活躍とご発展を祈念しております。




「蟹の甲羅」

大学院理学研究科植物生物学講座 吉田 和夫


野依教授ノーベル賞に沸く
名古屋の国際学会で
Farrand教授(右)
とLanka教授(左)と共に



 植物学教室新設の分子細胞構築学講座で生物界を超えた性を縦糸にゲノム構造解析を横糸に研究を展開してきました。酵母ミトコンドリア、植物バイオの基盤のTiとRiプラスミド三つの最初の全ゲノム構造決定を共同研究者や学生諸君と達成できたことに満足する一方、アグロバクテリアの染色体ゲノムは今一歩だったのは残念。若気の至りで前任地名古屋大学の自由闊達な気風を持ち込もうとし摩擦が生じたりもしましたが、その後は元々の信条「世間を狭く生きる」ことに徹して来ました。現在の心境を俳句もどきで表すと

 かえりみて云うこともなし年の暮れ
 脱ぎがたし蟹の甲羅は古びたり
 すべからくゲノムのせいよ猫の恋
 初桜教官の資質問われおり
 甲羅脱ぎチャーリとの旅初桜。





「広島のすみれとたんぽぽ」

放射光科学研究センター 吉田 勝英


若者たちとしまなみ海道を
サイクリング(総勢10人)で踏破
(筆者中央)



 六年前、放射光科学研究センターの新設に参画するため、東京からやってきました。カルチャーショックの一つは、こちらでは春路傍に咲くすみれ、そしてたんぽぽも日本古来のものだという驚きと嬉しさです。関東地方では、これらはとっくにすべて西洋のものに置き換わっています。日本も結構広いな、と認識を新たにした次第です。
 地域共同研究センターのオープンの時だったかな?どなたかの記念講演で「米国スタンフォード大学がベンチャー企業育成で実績を上げ得たのは、政治経済の中心である米国東部から離れていたからだ」という話がありました。
 トップ30もよろしいが、広島大学が東京から遠いことを利点とした発展を期待します。




「図書館について想う」

附属図書館医学分館情報管理課 吉田 二美恵


スケールの大きさと荘厳さに
感動した米国議会図書館の前で



 退職するにあたり、長年勤務させていただいた図書館について振り返ってみますと、誠に感慨深いものがあります。広島大学の図書館は原爆でその蔵書の大半を焼失しましたが、今日では、約三百万冊を所蔵する日本有数の図書館にまで発展しました。
 世界のトップレベルを目指す広島大学の学術情報提供・発信の拠点として、電子図書館的機能の強化・充実を図り、二十四時間情報提供サービス体制の確立、学術情報の公開と社会的貢献こそが、これからの図書館に求められていることだと思います。今や、図書館は利用者の多様なニーズに迅速且つ的確に情報を提供しなければ生き残れないという厳しい状況下にありますが、利用者が真に求めている図書館のサービスは、誠意ある温かなサービスではないかと思っています。 
 最後に、広島大学の益々の発展を祈ってやみません。
【部局歴】 教養部、総合科学部、附属図書館




「雁八百、矢三本」

大学院教育学研究科心理学講座 吉森 護


ケニアの研究生を迎えての
歓迎会の一コマ



 振り返れば、広島大学に奉職しておよそ三十年にもなります。大変長い年月ですが、束の間でした。この間、残念ながら、独自の研究として誇りうる業績は何もありませんが、よき師、よき同僚、よき後輩に恵まれました。今は、これらの多くの方々のサポートを得て、無事に定年を迎えられたことをただ感謝しています。「雁八百、矢三本」という古い諺があります。獲物の雁は八百といるのに、それをとらえる矢は三本しかないことを意味しています。これまで雁を食べたことはありませんが、最高に美味しいとのことです。私の場合、すでに二本の矢を(無駄に?)使い、残る矢は一本しかありません。さて後一本をどう使おうかと思案しています。もう雁を射るのはやめ、川面を泳ぎ、大空を飛ぶその勇姿をただ眺めていようかとも思っています。感謝。


広大フォーラム33期5号  目次に戻る  特集2に戻る